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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.20 トロンボーン:松崎 泰賢Interview

画像-トロンボーン:松崎 泰賢

音大をめざす先輩をみて、「ようし、自分も」と奮起。
自立心が強いといわれるけれど、ただ負けず嫌いでここまでこれたんです。

もっと市民の暮らしの中へ、もっと市民の心の中へ。
仙台フィルを、このまちのオーケストラにしていくことが願い。

「薪ストーブで暮らすようになってから、原木をチェンソーで切ったり、薪割りするのが趣味みたいになりました(笑)。」

N響の首席奏者にハガキを書いて弟子入り

生まれて初めて買った楽器はドラムセットだったんです。小学校5年のときでした。当時はグループサウンズ全盛の時代で、何といってもザ・タイガースがあこがれ。親に内緒で買って毎月こっそり支払いをしながら、友だちの家のガレージに置いて練習してたんですよ(笑)。のちにバレてえらく叱られましたけどね(笑)。

学、高校とブラスバンド部でトロンボーンを続けていたのですが、高1のとき先輩が音大をめざすのを目の当たりにして、じゃあオレも、と奮い立ちました。で、いきなりN響の首席トロンボーン奏者の伊藤清先生に、レッスンを受けさせてとハガキを書いたんですよ。その頃、「N響アワー」を楽しみに見ていて、日本一のオケの先生につけば、間違いないと思ったんですね(笑)。

2ヶ月後、レッスンの日時と場所を指定した返事がきました。最初の日、先生は鬼のようでした。音の出し方、奏法、すべてがダメ。楽器を泣きながら片づけていると「続けられるか」と聞かれ、「はい」と答えました。それから2浪して受かるまでの4年間、見ていただくことになったんです。

現役での受験に失敗したとき、親には「あとは自分でやれ」といわれ就職しました。2年間、働きながらレッスンに通ったんですよ。受かって親父に電話したら、「じゃ、入るしかないだろ」って(笑)。大学では授業には出なかったけれど、誰よりも早く学校に行き練習することを自分に課していました。要するに、負けず嫌いなだけですね(笑)。

市民に愛されるオーケストラに

入団してからのこの20数年は仙台フィルの過渡期だった思います。小さなオケから大きなオケへ、名前も規模も音もずいぶん変わりました。

入団した頃は、楽器運びも椅子並べも、何でも自分たちでやらなければならなかった時期。2000年のヨーロッパ公演のときは意識も音もがらりと変わり、一人前のオケになったかな、と感じました。

でも不思議なことに、音は格段によくなり団員が入れ替わっても、変わっていない独特なものがある。なぜなんでしょう。水や空気、食べ物のせいかもしれませんよ(笑)。

最近、シカゴでシカゴ交響楽団の演奏会を聴く機会があったんです。世界的なオケなのに、おじいちゃんおばあちゃんが聴きにきて、演奏中でも拍手しちゃうし、お目当ての団員と記念撮影をしている。ああ、仙台フィルもこんなふうに市民のオケになりたいと思いました。もっともっと市民の中に入る努力が必要ですね。

私自身は年齢を重ねるにつれ、頭と体のズレを感じるようになりました。それを埋めるための鍛錬をしなければ。いまも耳に残る伊藤先生の全盛期の音、それが目標ですね。

やまつざき たいけん
中学時代にブラスバンド部でトロンボーンを始める。高校卒業後、住友金属(株)勤務を経て、国立音楽大学を卒業。1982年、仙台フィル(当時の宮城フィル)に入団。静岡県焼津市出身。

第238回定期演奏会(2009年6月19日20日)プログラムより

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