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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.18 コントラバス副首席:河野 昭三Interview

画像-コントラバス副首席:河野 昭三

ひょんなことから、音楽を志してコントラバス奏者に。オーケストラで弾いてるというと、郷里のみんながびっくりするんです。

オケの土台を支えているのがコントラバス。一音一音が全体の演奏のクォリティを決める。そう思ってステージに立っています。

カメラ、車、ゴム動力ひこうき、と多趣味。「機械が好きだから、カメラもクラシックカメラ。あれこれさわって、シャッター切るまでが楽しいんですよ」。

深夜放送でトランペットのとりこに

やりたかったのは、トランペットだったんです。中1のとき、深夜放送を聴いていたら、ニニ・ロッソの「夜明けのトランペット」が流れてきたんですよ。おぉ、カッコいい! その曲が吹けるようになりたくて、雑誌の「売ります、買います」の欄で楽器を手に入れ、一人で音を出してました。

飽きっぽいのか気が多いのか、フォークギターもやっていたんですが、体動かすのが好きで当時はテニス部、剣道部、バスケット部と渡り歩いてました。理数が得意で機械いじりも大好きだったから、高校は航空専門学校に進学したい、と親に頼みこんだんです。ところが、却下。じゃ、どうしようと考えていたら、大親友が高校は「芸術科に進んで音楽をやる」という。「それなら、オレも」と方向転換して、トランペットの道を選びました。それからが大変。受験のために、聴音やったり、トランペット練習したり、毎日音楽の先生にみてもらいました。実は、小学校の時は音楽の成績は1か2(笑)。親はまさか受かるとは思ってなかったですね。それが受かってしまった(笑)。

愕然としたのは入学式です。やったことのないピアノが必修だったんですよ。そのうえ先生にこう言われたんです。「君は唇が厚いからトランペットは無理だ」。いまなら、そんなことは言わないんでしょうけどねえ。そのとき浮かんだのがコントラバスでした。ビリーバンバンの兄さんの方が雑誌にコントラバスの弾き方を特集していて、これならやれると思ったんです。根が楽天家なんですよ(笑)。

オケの土台を支え、一音にかける

高1から、月に1回、N響にいらした窪田先生に見ていただくようになりました。先生は「こう弾け」といわないんですよ。それがよかったのかもしれません。ひたすら聴いて、こうかな、こうかな、と音をつくることの繰り返しでした。その音色に近づけたんでしょうか、いまは先生の音に似ている、といわれます。

仙台には、音大卒業してフリーでやっていたときに、仙台フィルのエキストラできました。田舎だと思っていたんですが、大都会でびっくり。ペディストリアンデッキからケヤキ並木を眺めたとき、住むならここだ、と決めました。入団当時は演奏の環境すら整っていませんでしたが、この10年ぐらいでしょうか、自分たちの音ができてきた、なかなかうまいぞ、と感じるようになりました。

実コントラバスはオケの土台を支える仕事。コントラバス、テューバ、ティンパニ…オケのトライアングルと呼んでいますが、このオケで一番低い音を出す楽器が動くとみんなが動く、それが何とも楽しいんです。そして、一音、一音をどう弾くか。たとえば、ブラームスの1番のシンフォニーは、最初ドの音が30回ぐらい続きます。重いか、軽いか、早いか、ゆっくりめか。それで曲想が決まる。その一音に命かけてます(笑)。

かわの しょうぞう
トランペットで入学した高校の音楽科で、コントラバスに転向する。国立音楽大学卒業後、東京での1年半のフリー活動を経て、1981年仙台フィル(当時の宮城フィル)に入団。2008年4月よりコントラバス副首席。1958年、徳島県徳島市生まれ。

第236回定期演奏会(2009年3月20日21日)プログラムより

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