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楽団員インタビュー~ハーモニーな楽屋~

構成 / 西大立目 祥子

Vol.5 フルート:山元 康生Interview

画像-フルート:山元康生

入団25年、じっくりとフルートに取り組んできた。
これからも、吹くこと、教えること、両方のプロでありたい。

インタビューの日、フルーティストはバイクで颯爽と登場。
かつてプロの演奏家を夢見た少年は、いまも音楽家としての成長を自分に課す。

福岡生まれだが、父の転勤で名古屋、倉敷、福山など、各地を転々。小学校は4つ変わった。「仙台が1番長くなっちゃった」。

ピアノに挫折し、フルートを選んだのは11歳のときだった。

初めて触った楽器はピアノだったんです。5歳のとき、友だちが習っているのを見て、親に「習わせて」と頼んだんですよ。でも、右手練習して、左手やって、合わせてでしょ。せっかちでおっちょこちょいの男の子には無理でしたねえ(笑)。自分から言い出して始めたことだから、「もういやだ」と言い出せなくてずるずるレッスン通い。結局、5年生でやめました。

そのあと、3歳上の兄が中学でブラスバンドをやり始めたんですが、それが実にカッコよくて。それでフルートを習い始めました。なぜフルートを選んだかというと、フルートはハ長調の楽器で吹きやすく、音域が広いんです。

その頃には、早くもプロの演奏家になりたいって思うようになりましたね。あこがれは、何といったって当時一世を風靡していたJ-P.ランパル。「NHKコンサートホール」というクラシック番組も毎週欠かさず見てましたよ。といっても心地よく聴けたのは、やっぱりモーツァルト、べートーヴェン。ストラヴィンスキーの「春の祭典」は何だか気持ちが悪かった(笑)。

高校時代は、当時住んでいた広島県福山市から東京にレッスンに通い、首尾よく東京藝術大学に入学。でも入ってから、いかに吹けないかを思い知らされて、普通のレベルに追いつくのに必死でした。一からじゃなく、ゼロからのやり直し。読売日本交響楽団の首席フルーティストだった小泉剛先生に、テクニックと練習のやり方を徹底的に教えこまれました。

夢中で過ごした入団1年目

卒業後、アメリカ留学を考え下見にまで行ったのですが、よくよく親にたずねたら、もうお金がないという(笑)。東京で2年間フリーで仕事をし、24歳で当時の宮城フィルに入団しました。

最初の1年はきつかったですねえ。オーケストラの奏法というのは一人で吹くのとは違います。コンサートマスターの指示、隣の体の動き・・・吹くだけでなく、聴くのも見るのも大切です。しかも、新しい曲がどんどんくるから、レコード聴いてスコア読みして。もう、緊張の連続でした。

あれから、25年余り。1年間フランスに留学して勉強もできたし、じっくりと音楽に取り組んでくることができたと感じています。いまは、教えることも実に楽しい。これは自分にとっては、“やめられないとまらない”ことですね。教えることもプロでありたいと思っています。技術は日進月歩、メソッドだって変わる。そのためにもフルート吹きとして、これからも成長していきたいんです。この夏も韓国に教えに行きましたが、世界中のフルーティストと交流して、得たものはたくさんありますよ。

やまもとやすお
東京藝術大学卒業後、フリーを経て、1982年5月、当時の宮城フィルハーモニー管弦楽団に入団。1991年、フランス、エコールノルマル音楽院に留学。宮城学院女子大学音楽科、尚絅学院大学短期大学部の非常勤講師。1957年福岡県生まれ。

第223回定期演奏会(2007年10月12日・13日)プログラムより

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